時に、人は自分の価値観に縛られます。それが行き過ぎると、他人にその価値観を押し付けようとします。
しかし、必ずしもその価値観が正しいとは限りません。人の正義なんて、時と場合によって反対側からみれば悪になる、なんてことは簡単に起こります。(だからこの世から戦争が無くならないともいえますね)
またアフターデジタル、アフターコロナと、激動の時代に生まれたボクらにとっては、今の時代の「常識」が明日も在り続けるとは限りません。人の価値観も同様なわけです。
マネージメントの場面における価値観の強制の弊害
自分の価値観ややり方を他人に強制するのは、リーダーシップではなく、軍隊的なボスの仕事の仕方です。
それは、過去からの延長線上の現在において、過去の成功失敗を元に積み上げ創り上げたオペレーションを、忠実に回し続ける組織のおいては有効に働きます。
ただし、それをやっていいのは、未来が過去からの延長線上において予測可能な場合に限ります。
今のように未来への不確実性の高い時代において、ボスの正義を組織全体の正義と定義する組織には、レジリエンス(しなやかな強さ;復元力、弾力性、再起性)が欠如し、社会の変化についていけなくなる可能性が非常に高まります。
ボスの器以上に組織の力は発揮できず、自分の正義に固執するボスは大抵器が小さいので、社会の変化にそもそも気付くこともなく、その波に飲み込まれてしまいます。
イノベーションの場面における価値観の強制の弊害
価値観の画一性の高い組織では、今の「当たり前」を否定することが許されない文化が定着し、否定することをしない人たちの集まりになってしまいます。
イノベーションとは、現在の「当たり前」を否定し、カウンターカルチャーとして未来の「当たり前」を定義することそのものです。
価値観を強制するボスのもとでは、そういったイノベーションの種に気付いたり、アイデアを閃いたとしても、握りつぶされます。
旧世代の価値観に縛られているボスには、そのイノベーションの可能性を感じることができないのですから。
そんなチームでイノベーションは起きません。イノベーションに必要なのは、多様な価値観に基づく議論であり、それを導くリーダーシップなのです。
そもそも価値観の強制など無駄な労力
他人が自分の思い通りに行かないからといって、思い通りにさせようとするのは、自分の時間の浪費です。
他人はそう簡単に変わりません。見えないだけで、その人はその人なりに人生に歴史があり、そこで積み重ねた中で出来上がった価値観なのです。
それを簡単に変えることなどできないません。ましてや他人が強制して変えることなど、言わずもがなです。
ならば、自分の態度を変えたほうが手っ取り早く現実的で、しかも長続きするわけです。
働く側の選択肢が少なかった時代ならまだしも、働く側にも多様な選択肢がある中では、それを理解しないボスの元からは、人は離れていくでしょう。
時代の変化の波に乗るために…
時代は流れていきます。
そして、大きく動く波は唐突に訪れます。予測は不可能です。
その波に乗るためには、沖に出ている必要があります。
そして、一人ではなくみんなでいくつものポイントに狙いを定めなければ、起きた波を見過ごすことにもなりかねません。
だからイノベーションは多様性のあるチームで挑むことが必要なのです。