SNSで積極的に情報発信すると、高い頻度で遭遇するのが「マウンティング」です。投稿が人の目に触れるようになればなるほど、マウンティングとの接触機会は増えていきます。
マウンティングとは本来は「動物が自分の優位性を表すために相手に対して馬乗りになること」を指しますが、ここでは人間関係の中で「自分の優位性をアピールする行為」を指しています。
自分の知識や経験を他の誰よりも貴重なものであると考え、またわざわざする必要のない比較を心の中でした上で、相手に対して上から目線での物言いを繰り返します。
非常に不快ですし、それに付き合うことは人生の貴重な時間の無駄遣いなので、ブロックさせていただくようにしています。それさえも、大抵の場合勝手な勝利宣言をして、マウンティングの材料にされているようです。
しかし気をつけなければいけません。マウンティングは相手と自分の可能性の芽を摘んでしまう行為です。
マウンティングをする人が縛られているのは「普通」「常識」「当たり前」といわれるような固定観念です。その中で「他人から見て自分はどう映るか」というところに意識が強くあり、実体としての自分に自信がなく、虚像としての自分を大きく見せて虚栄心を満足させています。
しかし、未来を切り拓くために必要なことは「普通」「常識」「当たり前」という固定観念を否定することです。「普通」「常識」「当たり前」というのは過去から積み重ねてきた現在にあるものです。それを未来にも適用するならば、過去から現在の延長線上にしか未来は存在しなくなります。
人類は認知革命以来、常に「革命」によって進歩してきました。農業革命、産業革命、情報革命、そして現在のデジタル・トランスフォーメーションに至るまで、常に過去の常識からみれば、エクスポネーショナルな未来にたどり着いているわけです。
より良い未来に辿り着くためには「普通」「常識」「当たり前」を否定することは必要不可欠なのです。
また同時に、人は必ず「ポジション」があり、そのポジションに応じた価値観を有し、ポジションに応じたトークを行います。「ポジショントーク」という言葉がありますが、人は必ず常にポジショントークをしているのです。つまり別の見方をすれば、全ての人はその人なりの「井の中の蛙」であるということです。
マウンティングをするということは、他人に対して自分の井戸を強制することに他なりません。
また、それなりのポジションにある人が、そのマウンティングを断ることができない立場の人に対してマウンティングするということは、井の中にいることを強制することになります。
そして、マウンティングを他人にしている時点で、自らがその井の中に留まり続けるということを自ら選択することになります。
マウンティングは百害あって一利なしです。
井戸の中にいる蛙が、そこから見上げる空に月が映らなければ、月にいきたいと思いを巡らすことはできません。
人は認知革命によって「想像力」を手に入れました。それが未来に対しての可能性を広げ、様々な革命を成し遂げてきました。その想像力を発揮するためにも井戸を広げて、月の存在を知る必要があります。
マウンティングによって井戸を狭めることは、イノベーションを阻害してしまう要因になるのです。それはマウンティングをする相手にとっても、自分自身にとっても。
もちろん、自分勝手に「普通」「常識」「当たり前」という固定観念に縛られるのは、その人の自由ですが、少なくとも他人にそれを強制する権利は誰にもありません。
マウンティングはこの世から撲滅していきましょう。