✔︎ イノベーションの原点は、他でもない“自分の確信”にある
✔︎ 顧客に憑依し、心が震えるほど「必要だ」と言えるかが鍵
✔︎ 最初の顧客であり、最初の熱狂者は、自分自身でなければならない
本当に自分は「それが欲しい」と思っているか?
イノベーションにおいて、最初の問いはこうだ。「これは自分にとって、どうしても必要なものか?」。
どれだけ市場調査が整っていようと、どれだけ顧客インタビューを重ねようと、自分の中に“確信”がなければ、それはただの企画止まりだ。
これは「自分がターゲットであるべき」という話ではない。たとえ自分が顧客にならなくても、その世界に生きる“誰か”を自分の中に憑依させる。想像の中で彼らの感情を代弁し、怒り、叫び、欲する。
そうやって心が震えるほどのリアリティを得た時、ようやく「これは必要だ」と言える。
他人にウケそうなものではない。「自分が欲しい」と思えるか。あるいは「自分の中の誰かが、涙が出るほど欲しがってる」と言えるか。
それがなければ、プロダクトに魂は宿らない。
顧客を演じるのではなく、憑依せよ
「顧客視点で考えましょう」という言葉が軽く使われすぎている。
問題は、その“視点”がただの表層的な理解にとどまっていることだ。本当に必要なのは、“感情”への憑依である。
たとえば——
子育て中の母親。夜中に泣き止まない子どもを抱きながら、「誰か助けて」と心の中で叫んでいる。
シフトに追われる介護士。利用者の笑顔を見たいのに、時間に追われて心が折れそうになっている。
非正規で働く20代。将来への不安で眠れない夜を過ごしながら、それでも希望を捨てられずにいる。
彼らの目で世界を見て、耳で音を聞き、心で焦りを感じる。その瞬間に初めて、「これは本当に意味がある」と感じるサービス像が浮かぶ。
プロダクトは理屈では動かない。誰かの痛みを感じ取ったとき、それが自分の痛みになる。その共感からくる確信こそが、イノベーションの起点だ。
顧客を”理解する”のではなく、”生きる”こと。その深さが、企画と革新の分岐点となる。
「自分が買いたくなるか?」を問い続けよ
新規事業の企画会議で、よく「市場がある」「競合が弱い」「技術的に可能」などのロジックが並ぶ。だが、それだけでは不十分だ。
最も本質的な問いは、「自分が顧客だったら、これは絶対に買いたいと思うか?」である。
そしてそれに対する答えは、理屈ではなく感覚だ。背筋がゾクっとするか。心の奥底で「これだ!」と叫びたくなるか。
その確信がなければ、プロダクトはローンチされても風になって消えるだけだ。
サービス設計においては、「自分が惚れ込めるか」が基準であるべきだ。プロダクトオーナーや事業責任者は、最初の顧客でなければならない。
なぜなら、最初の熱狂がなければ、他人を巻き込むことなどできないからだ。
熱狂のないプロダクトは、死んでいる
イノベーションの現場で最大の罪は、“確信のないまま進めること”だ。
誰も本気で欲しがっていないのに、資料とパワポと意思決定会議だけが進む。それはもう、企画とは呼べない。
サービスは、つくる人間の感情を映す。情熱のない人間がつくったサービスは、機能的に優れていても、どこかに“温度のなさ”が滲み出る。
ユーザーはそれを直感的に感じ取る。「なんか、ピンとこない」と。
逆に言えば、確信を持ってつくられたサービスは、多少不格好でも、人の心を打つ。たとえニッチでも、熱狂的な支持を得る。
なぜなら、そこには“命”があるからだ。
イノベーターは「情熱の検閲官」を同時に心に宿すべき
イノベーターとは、同時に自分自身の“情熱の検閲官”であるべきだ。
「これは本当に自分の心を動かしているか?」
「単なる流行りに乗っただけじゃないか?」
そう何度も問い直すこと。企画が整ってきたタイミングほど、自分の情熱を疑う目が必要になる。
「なぜ私はこれを世の中に出したいのか?」
その問いへの答えを、何度でも言語化してみること。もし、その答えが薄れてきたなら、一度立ち止まるべきだ。
イノベーションの炎は、燃えているうちにこそ、形を持ち始める。常にこう自分に問いかける。「そのサービス、本当に欲しいか?」。
このシンプルな問いが、最も鋭いプロダクトレビューになる。
イノベーションの原点は、熱狂する自分自身だ
サービスを世に出す前に、まず自分が熱狂しているか。顧客候補に憑依し、世界を見渡したとき、これは「絶対にあった方がいい」と確信できるか。
それがなければ、世の中に出す意味はない。
それがあるなら、すでにイノベーションは始まっている。
自分が最初の顧客であり、最初の熱狂者であり、最初の変革者である。
イノベーションとは、そういう“私”からしか生まれないのだ。