「ゼークトの組織論」をご存知でしょうか。
ドイツの軍人のハンス・フォン・ゼークトが残したとされる軍事ジョークで、実際にゼークトがいったのか、どういう経緯でゼークトの言葉して残されたのかは定かではありません。
ドイツの軍人のハンマーシュタイン=エクヴォルトが、軍人の特性と組織における役職について、副官に述べたとされるものが元になっているともいわれています。
ゼークトいわく、人間は4種類に大別できる。
利口で勤勉なやつは、参謀に適している。
利口な怠け者は、指揮官にせよ。なぜなら確信と決断の際の図太さを持ち合わせているから。
無能な怠け者は、命令を忠実に実行するのみの役職に適している。連絡将校か下級兵士が務まる。命令されたことしかできないが充分だ。すべての障害を打ちたおす。
やる気のある無能は、このような者を軍隊において重用してはならない。そういうやつはさっさと。軍隊から追い出すか、銃殺にすべきだ。
その出自はいずれにせよ、かなり本質をついているので、こちらを引用しながら今回のテーマについて記していきます。
「ゼークトの組織論」を新規事業に当てはめる
新規事業を最初に立ち上げる際に必要な人材の分類としても、当てはめて考えることができます。
- 利口な怠け者は、イノベーターだ。その怠け癖から社会の非効率に気付き、怠けたいからその非効率を解消しようとする。また、確信を持って突き進む図太さがある。
- 利口で勤勉なやつは、賢者だ。ベストプラクティスを知っている。イノベーターが切り拓いた道を、ビジネスモデルとしてグランドデザインを描く賢さがある。
- 無能な怠け者は、行動者(Do-er)だ。頭を使うことはできないが、徹底的に行動することはできる。イノベーションにおいて行動こそ力だ。
- やる気のある無能は、とっととクビにすべきだ。
このやる気のあるが、新規事業には「癌」になるのです。
スタートアップなら、やる気のある無能は面接でチームに入れないようにすることはできるし、もし入社後に発覚したとしたらすぐに排除に動くでしょう。
一方で大企業は、新卒で入社してから長い間同じような環境や文化で、ある種のぬるま湯に長い間浸かり続けた結果、やる気のある無能は出来上がっていきます。しかも、労働組合が強いがゆえにそう簡単にクビを切ることができません。
大企業の組織は優しい。やる気があるから、そんなに低い評価もつけないし、何度も挑戦権は与えられます。失敗をすれば、周りに優秀な人たちがたくさんいるので、カバーはしてくれます。
そうして、大企業ではやる気のある無能が増長し続けていくのです。
新規事業での「やる気のある無能」の愚行
新規事業において、やる気のある無能はただただ癌になります。
無能なので目的を考えることができません。チームで言語化されていたとしても、それを理解することもできません。そして、目の前の手段に固執し、ともすれば勝手に誤った手段を選択し、ただただ無駄な行動を繰り返していきます。
新規事業は一寸先は闇です。だから一歩でも進んだら、その手段が正しいのか、次に取るべき手段は何なのかを考えなければなりません。考える頭を持ち合わせていない無能は、ただただ同じ手段をひたすらに繰り返していきます。
検証の結果出てきた結果を表層しか捉えることができず、手段の選択を誤ります。客観的にその手段の誤りを指摘し、軌道修正しようとしても、なぜ誤っているのかを無能は理解できません。理解できないので、もちろん受け入れることはありません。自分の信じる手段を、ただひたすらに繰り返すのです。
そうして当初達成を目指した目的から外れた結果しか手にすることができません。しかしそもそもその結果が目的から外れているかどうかもよくわかっていません。
その過程で必ずトラブルを引き起こします。それがトラブルとも気付かずに。そしてそれを周りの力で収束したにもかかわらず、周りに感謝をすることもありません。気付いていないから。
そして「私は頑張ってる」という主張だけを繰り返し、無能だから自分を客観視することもできず、高い自己評価を持ちます。低い評価がつけられれば、納得しません。
結果責任は取りません。結果が悪かったら全て他人のせい。自分は最大限やったのに、誰々が悪かったから結果が出なかったのだ、と。
すごく良いテーマを設定し、世界を変えるコンセプトが立案できたとしても、やる気のある無能が一人いるだけで、潰れた新規事業は数多くあります。
外部パートナーとの取り組みで「やる気のある無能」はより輝く(もちろん悪い方向に)
私のように新規事業を外部から支援する立場からみると、このやる気のある無能が担当者につくと最悪です。そんなプロジェクトはとっととやめたほうがいいでしょう。
やる気のある無能は、外部パートナーからの意見はより受け入れることはありません。
「このままだと想定している結果には至りませんよ」
「過去の事例や経験から、結果がどうなるかが目に見えてるので、これはやる意味はありませんよ。やり方を変えた方がいいですよ」
「もう少し抽象的なパーパスやビジョンを再設定することから始めた方がいいですよ」
様々な形で手段の変更を伝えても受け入れることはありません。ともすれば大企業のスタンスで、受託会社にこれまでやってきたように頭ごなしに「いいからやれ」と。
外部パートナーは諦めて結果が出ないことがわかったままやるしかありません。そしてやる気のある無能は結果が出なければ外部パートナーの責任にします。「お前らが正しく提案をしなかったからだ」「俺はそういう提案を最初から求めていた」と。
社内で上司から指摘されて、始めて誤りに気付きます。いや本当は気付いておらず上司からの指摘に逆らえないがゆえに、「それは僕の責任ではなく、あいつらのせいです」と嘯くのかもしれません。
外部パートナーからの提案に聞く耳も持たなかったくせに。
そして自己正当化のために外部パートナーの悪口を社内で言いふらします。「俺は悪くない。悪かったのはあいつらだ」と。
新規事業において必要なのは、オープン・イノベーションです。スタートアップがこれだけ数多くの挑戦を繰り返している昨今において、新規事業の経験も知識も持った人は社内より外部にあることの方が多いのです。
結果がどう出るかはやってみなければわからないのは事実ですが、過去の経験則からその結果がどうなるかは、外部の意見の方が信憑性があることもまた受け入れなければならない事実です。
だからオープン・イノベーションなのです。そこでは「外注」ではなく「外部パートナー」として、ともに目的に取り組むことが重要です。
しかし、やる気のある無能は自らが目指すべき目的や目標を正しく理解していないので(ともすれば外部パートナーよりも理解していないので)、外部パートナーの意見を受け入れることができず、間違った手段を「いいからやれ」と押し付けるのです。
新規事業から「やる気のある無能」は排除せよ
大企業のぬるま湯なら、どんな人材も排除はしないでしょう。組織全体としては、その心理的安全性は大企業の素晴らしい利点です。それは守るべきものです。
しかし、新規事業では「やる気のある無能」は排除すべきです。
新規事業とは限られたリソースで最大限の成果を出すことが求められるチームです。当然チームメンバーも最大限のレバレッジを聞かせるために、最適な適材適所を図らなければなりません。「やる気のある無能」を許容するほどの余裕は、新規事業チームにはないのです。
だからもし「やる気のある無能」が見つかったら、即座に排除をすべきです。いかなる手段を用いても排除に動くべきです。
外部パートナーと取り組むのなら、チームメンバーの評価を率直に聞くべきです。そこで癌になっている「やる気のある無能」をなるべく早く見つけて、なるべく早く排除するために。
「新規事業を創出する」ことが、「新規事業ができる人材を育てる」ことよりも上位の目標に置かれているなら、なおのことです。新規事業を成功させるために、やる気のある無能は排除しなければなりません。
また仮に「新規事業ができる人材を育てる」ことが目的であったとしても、やる気のある無能が育つことはないでしょう。まずその「やる気のある無能」さを許容できる既存事業の組織において矯正してから、新規事業部門で育成させるべきです。
「やる気のある無能」は、新規事業にたずさわらせるべき理由は、いかなる点においても存在しないのです。