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コーヒー1杯の値段は、誰が決めたのか

コーヒー1杯の値段は、誰が決めたのか
  • 価格決定の優先順位は「コスト→競合→顧客受容性」。逆にすると沈む
  • 顧客インタビューの「いくら払うか」は参考値でしかない。まだ見ぬ価値に値段はつけられない
  • 「ジョブの再定義」に成功すれば、競合価格も顧客の相場観も無効化できる

利益が出ないなら、話はそこで終わる

価格を決めるとき、最初に見るべきものは何か。市場調査でも競合分析でもない。自分たちのコスト構造だ。

どれだけ美しいプロダクトを作ろうが、どれだけ顧客が熱狂しようが、売れば売るほど赤字が膨らむ構造なら、それはビジネスではない。慈善事業だ。シミュレーション上ですら利益が出ないのであれば、価格を引き上げるか、コスト構造を根本から見直すか、そのどちらかしかない。

「価格を安くしすぎて死んだ」新規事業のケースは山ほどある。顧客に嫌われたくない。競合より高いと選ばれない。その恐怖心が、採算割れの値付けを生む。

だが、恐怖で決めた価格は、遅かれ早かれ自分たちの首を絞める。利益構造を無視した価格は、どこかで必ず破綻する。これが第一の原則だ。

競合価格は「天井」ではなく「参考値」だ

コスト構造をクリアしたら、次に見るのは競合の価格帯だ。機能競合、価値競合が、いくらでビジネスを成立させているか。

この数字は「顧客が実際に財布を開いている金額」という意味で、極めて実用的な情報だ。他社の製品に月額1,000円しか払っていない顧客が、こちらには月額10,000円を払う——その蓋然性を、何の根拠もなく主張するのは難しい。

だが、一方で、ここで多くの新規事業チームが犯す間違いがある。競合価格を「天井」として扱ってしまうことだ。「あそこが3,000円だから、うちは2,800円で」。その瞬間、価格競争という泥沼にはまる。競合の価格帯は、あくまで「今の市場で顧客が受け入れている水準」を示す参考値だ。天井ではない。それを超えられないと決めつけた時点で、自分たちの提供価値に蓋をしていることになる。

顧客は「まだ見ぬ価値」に値段をつけられない

3つ目の要因は、顧客インタビューで得られる価格受容性だ。「いくらなら払いますか?」という、あの質問だ。

正直に言おう。この数字は、最も扱いが難しい。

なぜか。新しいプロダクトであればあるほど、顧客候補はそれを手にしていない状態で値段を答えることになる。すると何が起きるか。結局、今使っている代替手段の金額を答えるのだ。「今のツールが月額5,000円だから、まあ5,000円くらいなら」と。それは顧客の本音ではなく、既存の枠組みに縛られた想像力の限界だ。

だからボクは、顧客インタビューの価格データを「参考数値」として扱う。鵜呑みにはしない。否定もしない。「今の市場での相場観」として頭に入れつつ、それを超えていくための設計を考える。顧客の言葉は出発点であって、到達点ではない。

「ジョブの再定義」が相場観を吹き飛ばす

ここからが本題だ。①コスト構造、②競合価格、③顧客受容性。この3つの優先順位を守りつつも、②と③を無効化する方法が、実は存在する。それが「ジョブの再定義」だ。

スターバックスが日本に来る前、コーヒー1杯の相場は100円から200円、高くても300円台だった。そこに1杯400円以上のフラペチーノが登場した。普通に考えれば「高すぎる」で終わる話だ。だが終わらなかった。スターバックスが売っていたのはコーヒーという液体ではなく、「サードプレイス」——家でも職場でもない、自分だけの居心地のいい空間——という体験だったからだ。

バルミューダのトースターも同じ構造をしている。トースターは2,000円から3,000円の家電だった。そこに25,000円の製品を投入した。「パンを焼く機械」としては法外な値段だ。だが「感動のトーストが焼ける朝の体験」と「インテリアとしての所有欲」という文脈に置き換えた瞬間、25,000円は妥当な投資に変わった。結果、高級トースターという市場そのものが誕生し、他社も1万円から3万円台の製品を投入するようになった。

ダイソンのドライヤーはさらに劇的だ。髪を乾かすだけの熱風機が2,000円から5,000円だった市場に、4万円から5万円の「Supersonic」を投入した。「乾かす」から「髪質を改善する美容機器」へ。そのジョブの再定義が、価格のアンカーそのものを書き換えた。

これらに共通するのは、「競合より少し良いものを、少し高く売った」のではないということだ。顧客にとっての製品の役割——ジョブ——を丸ごと再定義した。パンを焼く機械から「美味しい朝食の体験」へ。髪を乾かす機械から「美容への投資」へ。そうなれば、従来の競合価格も顧客の相場観も、比較対象として機能しなくなる。

確信のない値引きは、自分の価値を否定する行為だ

しかしそれには、大事な条件がある。②と③を無視して価格を設定していいのは、自分たちが提供する価値に確信がある場合だけだ。「なんとなく高くしても売れるだろう」ではない。「この体験は、既存の枠組みでは測れない価値がある」と言い切れるだけの根拠——それは機能的価値でもいいし、情緒的価値でもいい——を、提供者サイドが握っていることが前提だ。

その確信がないまま、ただ値下げに走るのは、自分たちのプロダクトの価値を自ら否定する行為だ。価格とは、つまるところ「ボクらが提供する価値の自己申告」だ。安く設定すれば、市場は「その程度の価値なのだ」と受け取る。高く設定して、それに見合う体験を届ければ、市場の相場観そのものが動く。コーヒー1杯の値段を決めたのは、市場でも顧客でもない。「これは液体ではなく、居場所だ」と定義した提供者の覚悟だ。

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